妄言 子ども時代

ナマポです。死んだ後のことって確認出来ないですよね

ナマポです。

底辺で生きてます。

高槻の中学1年の女の子、殺されちゃいましたね。

そして一緒にいた男の子も行方不明。

 

もしその女の子とナマポが同じクラスだったとします。

クラスのみんなで女の子の死んでいた場所にお花を供えに行こうなんて話になったら。

本来なら友だちでもなんでもないのに、こういう時だけ何故か声をかけられます。

行かなかったらあとで冷たいやつと言われるのが嫌なのでしょうがなく行きます。

ボーッとしててもダメなので、頑張って悲しそうな顔します。

でもナマポだけじゃなくそういう人多いと思います。

女の子ってこういう時、うまく涙を流せますね。

悲しそうに泣いてテレビのインタビュー受けたりしますよね。

「クラスの人気者」って逆に敵も多いはずですよ。

漫画家の蛭子能収さんはお父さんの葬式でみんな悲しそうな顔をしてるのがおかしくてつい大笑いしたことがあるそうです。

ナマポも多分そんな感じです。

 

逆にナマポが殺されたら?

みんなウソでもいいから泣いてくれたかなあ。

ウソでいいから泣いてくれたら、きっと母親喜びます。

「ああ、うちの息子、みんなから慕われてたんだ。仲間はずれじゃなかったんだ」って。

ナマポの母親そういう感じの人です。

やっぱり残された人が少しでも喜ぶなら、全く自分の人生とは関係ない人が死んでも泣いてあげるべきですね。

 

でも死ぬのも殺されるのも嫌ですね。

死んだあとのことが自分では確認出来ないからです。

みんな本当に泣いてくれてるかどうかわからないからです。

ナマポの目標は誰よりも長生きすることです。

ナマポのことを知ってる人がみんな死んでから、最後に死にたいと思ってます。

テレビ見てこんなことばかり考えます。

いつまでたっても底辺です。

-妄言, 子ども時代